VOICE
 着信を告げるランプが、不規則に点滅する。灯りを消した部屋の中、画面を覗き込めばそこに、見慣れた名前と、整った顔立ちのあいつが写っている。
 呼び出し音は5回鳴り、そして画面の切り替わりと共に鳴り止んだ。暗闇に包まれた部屋でスマホを手に取ると、再び灯りを取り戻した画面に、留守電の通知が1件。

ーーーーーー

「違うッス。あれは事務所のモデルの子で、別に特別な関係とかじゃないッスよ」
 いつもならキャンキャン犬みたいに捲し立てる黄瀬が、やけに落ち着いて説明をするのが、逆に疑わしく、俺は彼から視線を背けると窓の外に両腕を投げ出した。

「特別な関係じゃねぇのに、街中で腕組んで歩くんだな。毛穴が見えそうなぐらい顔近づけて、喋んだな」
 少し冷えた秋風が、頬をかすめた。落葉しようと準備をする黄土色の木の葉達が、物悲しい並木を作っている。
 醜い嫉妬。幾度もあった。運動神経抜群で、俺よりずっとバスケができて、毎日のようにファンが押しかける、スタイル抜群のモデル。街をぶらぶらすれば必ず、女が寄ってきて、サインを強請る。時折「お友達ですか?」なんて言って、俺にも白い紙を差し出す女がいたが、断った。
 あいつが女達に見せる笑顔は、俺に見せる笑顔とも寸分違わず、それも気に食わなかった。
「結局、俺ら男同士だし? お前だって、寂しそうな俺に同情して付き合っていただけてただけなんじゃないんですか?」
 わざとらしい敬語にさすがの黄瀬もカチンと来たらしく、眉根を寄せる。
「寂しそうなんて理由で、声かけたりしないッス。本当に、ずっと気になってたから、ずっと好きだったから、声、掛けたのに」
 一層冷えた風が頬を叩く。冬の足音がする外界から空気を遮断するため、窓ガラスを引いた。
「でもお前は、女も好きだろ。俺もあいつらも、まるでお前のコレクションみたいに箱詰めされて、お前が気の向いた時に気の向いたやつを一人、引っ張りあげて遊ぶんだろ」
「酷いッスよ、宮地さん。俺そんな積りーー」
「お前がそんなつもり無くても、俺にはそう感じんだよ」
 窓ガラスを背に凭れると、俯く黄瀬が無言で首を振り、その動きに前髪が同調する。
「そもそも、男同士だもんな。何の生産性もない付き合いなんて、これっきりにしようぜ。そうすればお前は女を選び放題。楽しくやれよ」
 そう言い捨て、黄瀬が口を開こうとする雰囲気を察しながらも俺は、彼の目の前を通り過ぎ、ドアノブを握った。
「宮地さん!」
 突として握られた痛いぐらいの手首には、黄瀬の綺麗な指が絡まっている。
「そんなに簡単に別れられるぐらいの関係だったんスか? それぐらいにしか、俺の事愛してなかったんスか?」
 振り解くようにして黄瀬の手から逃れると、無言のまま早足で玄関をくぐった。
 黄瀬は、追っては来なかった。

 愛してた。愛してたよ。だから俺は手を引いた。
 綺麗なモデルの女達と戯れるお前の姿を見て、馬鹿みたいに嫉妬して、でもそれを悟られないように笑顔で取り繕って。お前にとっての幸せは、嫉妬深く偏屈な男の俺と一緒にいることじゃない。世の中の最先端を行くような美女と、世界を彩る事が幸せなんだろう。

 それから俺は、メールもLINEもブロックした。だけど、電話だけは拒否できなかった。電話だけは、どうしても。留守電さえ入れてくれたのなら、彼の柔らかい声を聴く事ができるから。俺に呼びかける柔らかい声が、大好きだったんだ。

ーーーーーー

『宮地さん、黄瀬ッス。メールもLINEも届かないからって、何度も電話してごめんなさい』
 再生をタップしたスマホを布団に放り投げると、隣に横になる。まるで、あいつが隣で話しているみたいな距離感。語りかける声音は少し震えているけれど、それでも彼の声に違いないから、目を瞑って耳を澄ます。
『連絡下さい、ばっかりじゃ思いが伝わらないかなって思って。俺、本当に女の子達と何もなかったんッス』
 目に浮かぶ光景はリアルで、しかしこれ以上目を瞑る事ができない。振り払うことも出来ないぐらい、この目に確かに焼きつく男女の距離に、歯噛みする。
『立場上、邪険に出来ない子がいて、でもそれだけで、付き合うとか、そういう気はさらさらないッス。ほんとに』
 省電力設定のスマホが、灯りを消した。月明かりが射し込む部屋で一人、膝を抱えて横になり、彼を隣に感じる行為は異常かもしれない、そんな事が頭を過る。
『電話、出てくれないッスか?』
 それでも、別れを切り出したのは俺の方で、物言いたげな黄瀬を放っておいたのも俺で、潔さを見せるためには電話に出ることは出来ない。
 だって、声を聴くだけでこんなにもこみ上げてくるのに、話をしたら、きっと泣いてしまう。
 俺より少し明るく輝く向日葵色の髪、よく手入れされた爪、筋張った腕。その内側にある古傷は、指で撫でれば黄瀬は背中を震わせる。左耳のピアスを口で食むと、擽ったそうに笑った。肩口にある星座みたいな数個のホクロに舌を這わせば、きれいな指で髪を梳いてくれた。
 全部、愛してた。
 すぐ横で、彼の声がするのに、すぐ横に、彼はいない。手を伸ばして触れる事ができるのは、冷たいモバイル。そこを撫でても、彼に届かない。暖かな体温はもう、隣にいない。それは俺が、未練がましくも捨てたから。
 これから先、誰も愛することが出来ないかもしれない。だけどそれは、黄瀬に対する当てつけがましい誠実さになるだろうか。当てつけて、どうするんだ。

 確かに愛していた。確かに愛されていた。これ以上何を求めているんだろう。

『宮地さんは、俺の特別で、他の誰とも替えが効かなくて、本当に笑いかけたいのは宮地さんだけで、でもそれを分かってもらえないのは俺の力不足でーー逢いたい、宮地、さん......逢いた......』
 尻切れになる言葉は震えを抑えきれず、電話の向こう、静かな空間に彼の嗚咽だけが響いている。
 そんな事、判っていたんだ、彼が、俺だけを愛しているだなんて。それでも欲しかった、特別。

 きっと黄瀬が泣いてくれるのは、俺のためだけだから。やっと手に入れた、特別。

 流れ出した涙は溢れ出て、慟哭で息苦しい。閉めきった部屋から抜け出したくて、一秒でも早く黄瀬に逢いたくて、部屋着のままでドアを開けた。

「......き、せ?」
 外廊下の柵に寄り掛かる彼は少し困ったように微笑んで、刹那、強い風が大袈裟な音を鳴らしながら過ぎ去って行ったけれど、確かに彼の唇は「逢いたかった」そう言った。
 伸ばされた手を取り、彼の頬に自らの頬を寄せる。

 不意に香る、甘い甘い、シャンプーの匂いも、全部愛してた。
 これからも、きっと。