スクエア・ユートピア
 この部屋に来てすぐ、まるで猛犬にでも嵌めるような大袈裟な首輪を装着させられた。こんなものが無くったって、俺は逃げはしない、そう言ったが、聞き入れてくれはしなかった。
 部屋の片隅に配置されたガラステーブルに、揃いのスマートフォンが並んでいる。初めの数日は賑やかにガラスと触れ合う音を奏でていたが、それもなくなった。
 この世で俺とお前が二人、取り残された気分だ。いや、俺とお前が選ばれた、とも取れよう。
 窓一つないこの部屋は、よく管理された室温と、無音の換気システムで、酷く居心地が良い。それに、お前と二人なら、居心地が悪い訳がないんだ。

「すいません! 勝手に新しいのに変えてすいません! この色の方が、宮地さんの白い肌に合うと思って......すいません!」
 漆黒のロープを首に纏う。それはまるで季節外れのマフラーでも身に付けるが如く、ふわりと。ロープの先を輪にし、手の甲に巻きつけた彼は、人が変わったように口端を歪め、居心地の悪い笑みを漏らす。
「ボクより先にイカないでくださいね」
 こくり、頷けば、顎の下に感じるロープの感触に行き当たる。もう直ぐこれが......思わず自らの股間に手を這わす。
 長く伸びたロープが、ぴんと張られた。刹那、張力は俺の首へとダイレクトに送り届けられ、首ごと持って行かれぬよう、ベッドの縁をぐいと掴む。その手に、少しずつ力を掛ける。
 目の前に座る彼を中心に据え、時間の経過とともに少しずつ、世界は青転して行く。彼と俺との間に、快晴の青空がフィルターとなって挟まれたかのように。
 喉にかかる圧力は、徐々に力を増して行く。視界の外縁が俄かに黒変する。じわりじわりと侵食するウイルスのように、視野を蝕む黒はロープの黒と似ていた。
 吸気の流入を妨げられた肺臓は混乱を起こし、呼気を匿おうとする。心肺に酸素交換へ来た血液達は、行き場をなくし、酸素を求めて上へ上へと登ってゆく。
 熱に、埋もれる。触れれば指が氷のように感じるぐらい、熱を持つ頭部は、思考回路を緩くする。あぁ、何も考えるな。
 気づけば添えていた手を押しのけるぐらいに、俺の下半身は膨張している。
 一般に、悦楽に浸る身体は常に息苦しいものだ。荒い呼吸のせいで目の前は蒼白になりながらも、さらなる快楽を求め、身を捩る。いよいよ頂点に達する寸前の、痺れるような、せり上がるような、爆発を予兆させるような、あの危うい感覚によく似た状態に、今、俺はある。
「アッ......」
 締め付けられた喉からやっとの事で言葉にならない音を吐き出せば、彼は俺に「弄ってるところ、見せて」と要求する。
 少しの刺激で達してしまいそうなそこに、そっと触れる。薄れ行く意識の中でそれが果たして上手く調整できているのかは定かではない。握り締める力も殆ど果てた手でそこを掴むと、どこに眠っていたのかという程の力で身体がひとつ、ふたつ、大きく震えた。
 侵食する黒の向こう、彼もまた、己自身を弄っている。上気した顔で俺の顔を見つめ、その口端からはだらしのない涎が垂れている。
ーあぁ、そこを舐めとりたい。
 想像上の悦楽と、酸素欠如による浮遊状態がない交ぜになった俺の身体は、集結に向けて動き始めた。全身を駆け巡る快楽のせいで、人より少し長い下睫毛に支えられた一滴が、頬を伝った。もう、終わる。
 大仰に震わせる身体に合わせ、ロープが緩められる。虚血状態の脳は酸素と血液を取り戻し、俺の視野はクリアになりすぎる。生温い温度が、太腿を濡らした。
 気づけば彼もまた、最後に達した後だった。絞頸している最中は、徐々に脳神経が犯されて行くのか、初めのうちは聞き取れる彼の言葉も、いつしかあやふやな記憶にしかストックされない。

 この部屋に来てから、俺はセックスをしていない。彼に言われるがまま、絞頸を許容し、快楽を覚え、それに満足をしている。彼も、俺を求める事はしない。
 それでも言うのだ。
「ボクみたいなゴミ人間が宮地さんを愛してしまって、すいません」
 その時ばかりは口に嵌められた球体を取り除き、噛みつかんばかりに獰猛なキスを交わす。そこでその日始めて、俺はこいつの体温を知る事になるのだ。
 頸を絞められてもいい。首輪をつけられてもいい。床を舐めろと言われれば喜んで舐めるよ。お前が望むなら犬にでもなるよ。
 だから、一日に一度でいい。ロープ一本分の距離を縮めて、深く深く堕ちて行くような口吻を下さい。あなたを養分にして育つ、俺に毒を下さい。
 さぁ、早く。