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 顔を洗おうとして外した眼鏡を、開いたままの黒い眼鏡ケースに置いて、顔を洗って戻ってくると、ぼやけた視界に眼鏡の姿が無い。
「誰か、わしの眼鏡知らん?」
 そこにいたメンバーが皆、周囲を探している様だった。俺も見えない目を凝らして、鞄の中やらどこやらと、思い当るところを探してみるが、一向に見つからない。
「眼鏡なんて、安く作れんだろ、新しいの作ればいいじゃねぇか」
「アホか、あれはスポーツ用の超軽量、高価な奴なんやで。寮生のわしには到底買えん代物や」
 ふーん、と冷めた空気が部室を支配した。
「あの、もしかして、今吉さん誰かに恨まれてるとか......スイマセン!」
「いや、それあるかもしんねーぞ。部員なんて数えきれねぇ程いるんだから、あっという間に誰かが隠したって事は、考えられんだろ」
 髪を掻き、苦笑する。思い当たる節が無い訳ではないけれど、誰かに恨まれているのでは、と他人に指摘されるほど、俺は恨みを買う人間なのだと思うと、なかなか苦しい物がある。
「ちょっと、校内を探してみましょうか。さすがにそんなに遠くまでは持って行かれてないとは思いますが......」
「せやな、頼むわ。あれないとワシ、何もでけへんのや」
 若松が適当に指名した部員がスマホを片手に部室を出て行った。自分でも周囲を探してみるのだが、この視力では限界がある。大人しくベンチに座っている事にした。

 部室に残っているのは数人。指示した若松は予備校があるとかで、先に帰って行った。そう言えば俺も予備校に行く予定だったのに。背に腹は代えられない。とにかく散って行った部員からの連絡を待つ。
『あ、今吉さんですか? スイマセン!』
「何で謝っとんねん。あったか?」
『はい、ありました。でも......スイマセン! ボクの力じゃ届かなくて......今吉さん、来て貰えませんか?』
「どこ?」
『音楽室です』
 随分と場違いな所で発見された訳で。桜井はどうして音楽室に狙いを定めて動いたのだろうか。疑問に思いつつ、散らばった部員への連絡は諏佐に任せ、部室を後にした。

 がら、と引き戸を開けば、窓際に桜井の下半身だけが見えている。
「何しとんの」
「あ、今吉さん!」
 顔を上げた桜井は手招きをした。つられるように靴を脱ぎ、ワインレッドの絨毯に足を降ろす。擦り足みたいに近づけば、窓の外を指差す桜井。その指の先、階下の庇の上に、俺の眼鏡は落ちていた。
「何や、随分と恨まれたもんやな」
「ネクタイの先に引っ掛けて取ろうとしてるんですけど、なかなか」
「ん、ワシ自分でやるわ」
 ネクタイを緩め、すっと解く。どこか身軽になった肩を回すとネクタイを握りしめ、窓から上半身を突きだした。
「取れそうですか?」
「んん、届くには届くんやけどなぁ、引っ掛かってきぃへん」
 つま先立ちになって、腕を伸ばす。少しでも近くでネクタイを引っ掛けようと、必死だ。
 そのうち、なぜか制服の裾、足首に違和感を感じ、視線を下げる。見れば、桜井が自身のネクタイを使って、俺の足首を拘束していた。
「何しよんねん」
「縛ってます」
「んなもん見たら分かるわ。で、そないして、これからどないすんのっちゅー話や」
「どーしようかなー」
 固結びになった足元を解こうと身を屈めていると、傍に置いた俺のネクタイを奪われるのはほぼ秒速、ぐっと後ろから腕を引かれ、バランスを崩す。
「アンタ、どこにそないな力があんの?」
「スイマセン、僕こう見えて、結構鍛えてるんで、スイマセン! てゆうか、今吉さんはちょっとトレーニング足りないんじゃないです?」
「言いたい事言いよるな、お前」
 絨毯敷きの床にコロンと転がされ、仰向いた。背に潰される腕が痛い。
「さて、どうされたいですか?」
「一応訊いとくけど、桜井、そーいう趣味は、あらへんよな?」
「そういう、趣味ってもしかして」
 屈んだ桜井は、くの字に曲がった俺のウエストの金属を弄ぶ。
「ここを、開けたり、この下のファスナーを開けたり、その中の下着をずりおろしたり、その下の、って事を言ってるなら、それ以外に何のために今吉さんを縛っているのかって逆に訊きたいぐらいです」
 一つの曇りもない笑顔でサラッと言ってのける辺り、確信犯だ。桜井は未だ、かちゃりとベルトの金属に手を掛けている。
「参ったな......ワシそう言う趣味あらへんよ。変な事しはったら、叫ぶで?」
 手を離し、すっと立ち上がった桜井は、待ってましたとばかりに両の手を叩いた。
「この教室って、内側から鍵がかかるんですよ。知ってます?」
 教室の隅に歩いていくと、大げさな施錠音が響いた。
「クラシックは、好きですか? ロックの方が好きですか?」
 次はオーディオラックへと歩いていく。操作し、随分と大きな音でピアノ曲が流れ始めた。
 音も無く近づいて来た桜井はしゃがみ込み、仰向ける俺の耳元に唇を寄せれば、耳介に生き物みたいな舌を這わせる。思わず、背が震えた。
「知ってますか? この曲」
「妹が、習ってた曲や。ベートーベンの、何やったかな」
 クスと笑い桜井は、ろくに身動きの取れない俺のベルトに手を掛ける。腹の辺りにベルトの金属が当たるのだけれど、ピアノの爆音で全く耳に届かない。
「なぁ、アンタこんな事」
「え?」
 すっと近づく桜色の唇。舌が這うのを警戒し、少し顔を背ければ、歪な顔で笑う。
「何ですか?」
「こんな事して、楽しいんか?」
「ええ、人が喜ぶことをするのは大好きですから」
 掻く手がないけれど、身体が自由ならばきっと俺は、困ったなとばかりに頭を掻いていた筈だ。
「あの、ワシひとっつも喜んでへんのやけど」
「喜ばせるのは、これからですから」
「訳分からんわ......」
 下半身がすっとする感覚がして、少し頭を持ち上げれば、大切な部分は丸出しになっている。
「おい、桜井、やめとけって」
「はい? 何されると思ってます?」
「どうせそこ、弄るんやろ?」
「勘違いって奴ですね、今吉さんの早とちり」
 笑いながら桜井は、俺の頬をつんと突いた。随分と楽しそうだ。
 自らのズボンを脱ぎ捨てて、身体の割には偉く立派なそこをぶら下げながら、俺の顔に跨った。
「弄るのはボクじゃなくて、今吉さんのおくちですよ」
 刹那、口の中に体温よりも少し熱い肉塊を詰め込まれ、思わず「んぐっ」と声が出る。
 先端から少しずつ流れ出す粘液の温かさと、桜井の上気する頬の朱色、口の端で光を反射しているのは、唾液だろうか。眼鏡を奪われ、おぼろげな視力で見つめる桜井は、吐息と共に身体を折った。とろりと溶けてしまいそうなチョコレート色の瞳は濡れて、空虚を這い回っている。それが何とも性的で。
 ニタと笑んだ桜井は、身体を屈めて耳元に口を寄せる。
「あれ、おかしいな、今吉さんボクのをしゃぶってるだけなのに、今吉さんのショーイチ君が目を覚ましましたよ?」
「うっさいわ、アホ」
「先っぽから、何か出てますよ、テカテカしてますよ」
 言葉だけで脳に伝わる感覚は、身体を正直に動かすらしい。不随意に溢れ出る俺の汁が、本体を伝って腹に落ちている。開け放った窓からそよぐ風に掠められ、僅かにひやりとする。
「あんたのここ、噛み千切ってもええか?」
「甘噛みなら喜んで」
「ちゃうわ、ボケ」
 噛まれる事を警戒したのか、口に入れる事はやめて、ブレザーのポケットから小瓶を取り出した。
「今吉さんが喜んでくれるといいなって思って、持って来たんですよ、これ」
 目の前に差し出した小瓶の中には、毒々しいピンク色の液体が入っていた。
「一応聞くけど、それ、何?」
「ローション」
 脚に力を入れてぎゅっと絞った所で何の意味もなさず、その隙間から挿し入れられる少し暖かな桜井の手。その先に、たっぷりと乗せられたローションは、随分とひんやりして、思わず後孔に力が入る。
「今吉さん、力、抜いて?」
 耳元に吐息交じりでかかる声は、なぜか腰の辺りに刺激を与え、きっと今、また俺の先端から、何かが溢れ出た。
 とてつもない違和感が、後ろを襲う。痛みはない。ただただ、違和感として腹の中に圧を掛けられている感覚。それが少しずつ、少しずつ、大きくなってくる。
「きっと喜んでくれると思うんです。ちょっと痛いけど、その先は、すっごく気持ちがいいから」
「何やねん、アンタ経験者かいな」
「僕は、気持ちよくさせてあげる方専門ですよ」
 耳孔に舌が這いまわる。水が跳ねる粘着質な音が直接鼓膜を刺激して、とんでもない快感に思わず声を漏らすと、桜井は、不気味なほど美しい笑顔で、言った。
「可愛い」
両足を固定されたまま膝を曲げさせられ、その部分はまるで覆う物が無くなった。
「痛かったら言ってください」
「痛かったらやめてくらはるの」
「痛かったらその顔を愉しみます」
「鬼畜やな」
「褒めてます?」
 からっと笑った桜井は、俺のそこにぬるっとした先端をこすり付け、少しずつ中へと入ってくる。その部分の痛みより、腹の中に何かが入り込んでくるとてつもない違和感の方が大きいのだけれど、やっぱり物理的に痛くない訳がない。
「桜井、痛いわ」
「そうでしょ? ボクの、結構立派なんで」
「そう言う問題かいな」
 いたずらそうに笑むと、さらに奥へと侵入する。じわ、と痛みが拡がると、嘘みたいに疼痛が消える。違和感もいつしか、身体のどこだかよく分からない部分に快楽をもたらしている様で、漏れ出す声を抑えるのが精いっぱいだった。
「もう少し、動いてみますね」
 耳元の吐息。下から突きあげる違和感、快楽。ただ声を出さなければ良いだけなのに、そんな簡単な事も出来ずに俺は、思わず声を漏らしてしまった。
「んハァっ、んん、」
「いい声。もっと聴かせてください」
「んな、はぁぁーー聴こえへん、やろっ、んんっ!」
「聴こえなくても、顔を見てれば声、出てるの分かりますよ。顔、近付けますからここで聞かせて? ねぇ、今吉さん」
 いつの間に、足の拘束は外されていた。開いた脚の合間に桜井が、腰を打ち付けている。
「この辺、ですか?」
「アアアア、やめ、んふぁっ、さくんぁっーーひぃっいやぁっ、、」
「ふふふ、可愛いですね、今吉さんって。さて」
 そう言って桜井は顔をあげると、下半身をすっと抜き取った。奥の方が疼いてじんとして熱くて、血流はただ一ヶ所をめがけて集まっている。びんと立ち上がったそこは、今の今まで受けていた刺激を思い起こすだけで、びく、と震えている。再び顔を寄せた桜井は、少し曇らせた表情でこう言った。
「いやって、言いましたよね。ボク、人が嫌がる事はしない主義なので。これで止めておきますね」
 きっと、無意識だった。気付けば首を振っていた。
「どうしました?」
「桜井、もっと、もっとしてくれ。このままやと身体、変になりそうやわ」
 スッと口角を上げた桜井は、試合中には見せない満面の笑みを浮かべ、そして俺の唇に吸い付いた。チョコでもつまみ食いしていたのか、彼の口の中は、甘い味がした。
 再び内臓を抉られるような圧が掛かり、押し出されるように漏れ出す嬌声。
「ねぇ、今吉さん、後ろからしてもいいですか?」
 快感から何なのか、目の前がじわりと水分で覆われた俺は、桜井が言うままにうつ伏せた。両手を使えないから、尻だけを突きだした状態で、押され、突かれた身体は、揺れる。
 桜井の右手が俺の真ん中を扱きながら、後からも刺激を受ける。そのうち膝が、いう事を訊かなくなってきた。涙も唾液も、零れるままにーー。
「ハァ、あ、さく、ンァァッ、出そう、出そう、なぁ、出てまうって、んァァァ、」
 クッと腹に力を込める事も出来ず、気付けば音楽室のカーペットに、どろっとした白いものが点々と落ちている。紛れも無く、それなのだが。
 とことこと、オーディオラックに歩いて行った桜井が、大仰な音を止める。すっと飛び込んできたのは、夏の終わりを告げる涼風と、それに乗る夕刻の虫の音。
「桜井、あんたはええのんか」
「何がですか?」
「その、最後まで、イってへんやろ」
 くしゃっとなったポケットティッシュを俺に手渡すと、当たり前の様に言う。
「あぁ、いいんですよ、さっき言ったじゃないですか」
「え?」
「人を喜ばせる事が好きなんです。だから、僕はいいんです」
 後ろ手に縛ったネクタイを外してくれた桜井は、俺のシャツの襟の隙間にネクタイを通す。すっと慣れた手つきで結べば、俺が自分でやるよりもずっと綺麗な結び目ができている。
「はい、今吉さんはボクのを結んでください」
同じように彼のシャツにもネクタイを掛け、少したどたどしい手つきながら結びつける。 結び目の角度をくっとひねり、成形すると、刹那桜井の唇が飛んできた。
「ボク、今吉さんの事、好きですよ」
「そか。ワシもアンタの事嫌いやないで」
 はにかむように笑った栗毛色の彼は、ドングリみたいな瞳をきらっときらめかせ、音楽室のドアへと歩いて行った。

「次は何を隠そうかなぁー」