ルームシェアフレンズ
2.

「あれ、高尾は?」
 眼鏡を手に眠たげな眼を擦る緑間は、いつも伴って降りてくる高尾がいない事に今更気づいた様子で、振り向くと部屋に向かい「高尾」と呼びかける。
「ちょ、飯食っててください! 俺の分そのままでいいですから!」
 部屋の中からややくぐもった声が飛ばされる。「まぁいいか」呟くように言った宮地は、三人分のマグカップにコーヒーを注いだ。
 宮地の隣室のドアが蝶番を鳴らし、緑間と同じように目を瞬かせながら桜井が気怠げに出てくる。
「おはよございます......すいません。起きられなくてすいません」
「んぁ? 別にいいよ。早く食え、パン固くなるぞ」
 いつもなら、宮地が起きる時間にキッチンに立っている桜井が、時折こうして寝坊をする。と言っても、皆が起きる時間には必ず起床し、朝食をとるのだから、大したものだ。
「昨日、遅かったのか」
「あ、すいません。アマゾンでちょっと色々......す、すいません!」
 ふっと吹き出す緑間を目に、「別に謝らなくたって」と飛ばす。
「桜井、何でもアマゾンで調達するのはやめるのだよ」
「だって次の日にくるじゃないですか。送料無料だったり? ちょっと恥ずかしい物だって買うこt......」
 手から滑り落ちた食パンは、角を皿にぶつけ、コンと音を立てた。
「桜井って、恥ずかしい物買う事あるんだな。エロDVDとか?」
「すいません! すいません!」
 釜茹でにされたように耳まで朱に染めた桜井は、宮地の問いに答えぬまま黙々とヨーグルトをかき込んでいる。桜井の周囲の時間だけが早送りで展開されているように見える。
「なぁ、緑間は? エロいもの買ったりしないの? オナホとか」
 白くきめ細かい肌はあっというまに隣に並ぶ桜井に負けない色にまで染め上げられ、緑間はどもり気味に呟くように言った。
「オ、オ、オ、オナホ、なんて買ったり、し、しないのだよ!」
 口に咀嚼していた物を思わず吹き出しそうになり、宮地は口を覆った。予想だにしていなかった事だった。
「緑間お前、オナホって知ってんだなぁ!!」
 何も知らない純真無垢を「装っている」だけなのか、たまたまオナホという言葉を高尾あたりから植え付けられたのか、この状況が可笑しくて宮地は腹を折り身体を震わす。
「お前ら、ヤることやってんのか!!! クッソおもしれぇ!」

 他の二人が支度をしている間も、講義が三限からの宮地はゆるりとコーヒーのお代わりを口にしていた。周辺視野に、それまで開かなかった部屋のドアが開かれるのを視認する。
「おはざまぁす」
 洗面所から二人の返答が飛ばされる中、宮地は降りてきた高尾の顔をじっと見つめる。まるで前の晩に泣きじゃくったかのように、瞼が真っ赤に腫れている。
「どーした」
「いや、スプーンで冷やすとイイって美容サイトに書いてあったからやってみたんですけど、全然ダメでした」
「ちげーよ、んなOLの裏ワザ訊いてねぇし」
 俯きがちにテーブルにつくと高尾は、保温ポットから注がれたブラックコーヒーを口にする。
 ふうっと一つ溜息を付けば宮地は、いつもと違う彼の雰囲気を感じ取り、思わず彼に触れようと手を伸ばす。

ー俺は何をしてるんだ。この手は何だ。慰めるのか? 理由も知らず? まるで俺に非があるみたいじゃないか。

 明らかに泣きはらした涙の理由を探せば、思い至らない訳ではない。昨晩、談笑の隙間に見せた翳る顔を、俄に想起する。
「あれ、高尾君、目が腫れてるけど大丈夫?」
 すっと顔を挙げた高尾は桜井に笑んでみせた。
「おぉ、ありがと。大丈夫だ」
「眼鏡でもかけてカモフラージュして行くと良いのだよ」
「真ちゃんマジ真ちゃん」
 笑顔だけは通常営業である事を認識した宮地は、そっと胸を撫で下ろす。ここで彼をヘタにフォローするのは得策ではないと自分を納得させた。何故なら宮地と高尾はセックスフレンド。快楽を共にするだけの相手として互いを欲しているだけなのだから。


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