ルームシェアフレンズ
17.

 煌々と照るネオンや街灯が一つもないこの温泉街で、満月から放たれる光は案外強く、足元に薄っすらと影を落とす程だ。岩場に打ち寄せる波が静かに砕ける音と、少し離れた砂浜で花火をする観光客の笑い声が、じっとりとした潮風に乗って耳に運ばれる。
 たどり着いた岩場の入り口は、プールサイドからプールへと入る手すりに似た弧状の物体が埋め込まれ、その根本、心許無いロープ製の梯子が垂れ下がっている。その先は、岩場の影に隠れていて見えなかった。もちろん、海から飛び出して見えるはずの岩も、全く姿がない。
「せっかくだから」
 誰にともなく呟けば手すり状の金属に手を掛けた。夏でも冷やりと冷たいそこにぼんやりと心地よさを感じつつ、ロープに手を下ろす。荷重をかける度、結び目が確かに締め付けられるギュッという音に、俄に安心感を覚えつつ、脚を交互に下ろしていく。上から見ると岩場に隠れてしまっていた部分にまで到達し、その岩を潜るように降りると先、男が一人、ぽつねんと立っていた。
「いたのか」
「来ると思ってましたよ、宮地さん」
 最後の数段を飛び降りると宮地は、手の平を払い、海に視線を遣った。その中程に飛び出した縦長の岩は、背後から月光を浴びせられ、凹凸が美しく光を反射している。それが海にも映り込むという神秘的な場所だった。
「すげぇな」
「すごいっすよね」
 大仰に息を吐きながらその場に座った高尾を視認し、何となしに宮地も、そこから人一人分の空間を空けて腰を下ろす。この距離にすら、久しく近寄っていない事に思い至る。砕けた波が、岩場の底から海風を受け、二人が座る岩場まで飛沫となって寄せてきた。
「宮地さんは、人事を尽くして天命を待つって言葉、信じます?」
「は? お前緑間かよ」
 溜息みたいに笑うと高尾は、袂からキャンディの包みを取り出し、ひとつ投げた。
「俺もね、何か胡散うせぇっつーか、どんなに頑張ったってうまくイカねぇ事だってあんだろ? って思ってたから、正直真ちゃんがあんなにこだわる意味って分かんないんスよ」
「俺はちゃらんぽらんだから、さっぱり分かんねぇけどな」
 包みを開き、口に投げる。柑橘系の甘酸っぱい味が、口の中にすっと広がり、それまで張り詰めていた気分が少しでも和らぐような気持ちになった。
「で、考えたんスよ。あの言葉って、頑張れば何でもうまくいく、っていう意味じゃねぇんだなって思って」
「ん」
「俺の解釈ではね、精一杯やっとけば、結果がどうあれ後悔しない、っていうことかなって」
「あぁ、それは言えてるな」
 少し大きな波が、弾けるような音と共に砕け、上昇した飛沫から潮の香りが漂う。泡沫は四方に散らばり、姿を消した。
 暫くの沈黙の中、宮地は考えていた。自分は人事を尽くしているのか、と。やらねば後悔する事に、立ち向かっているのか、と。言わなければと思う言葉は喉元でせき止められ、唾液と共に飲み下される。繰り返される生産性のない衝動を為す術もなく受け入れるしか無かった。
ー弱い人間だよな、俺は。
 苦笑し、海の向こうにそびえる岩に目を遣る。荒波に削られてできたのであろう数々の凹凸を一つ一つ数えながら、高尾が口を開くのを待った。
ー結局、人任せだな。
 そう思えば、苦笑は自虐的な表情に変換させる。
 高尾は、まだ口にしていないキャンディの袋を指で弄びながら、放り出した裸足をゆらゆらさせている。その横顔は、何かを必死に考えている態であり、結局宮地には、高尾が何か口を開くのを受動的に構えている外、選択肢はなかった。


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