ルームシェアフレンズ
16.

 午前中に研究室の掃除が入った宮地だけ、後から車で宿に向かうことなり、二人にとっては却って好都合だった。狭い車で三人の空気、きっと換気が追いつかないぐらいの澱みに支配されるだろう。
 海辺に立てられた小さな温泉旅館は、裏手の小道を行くと岩場に出ることができ、夜は月光と、海に突き出る岩の厳つさのコントラストが素晴らしいんだそうだ。ただ、急斜面となっている岩場までおりる客は少なく、降りるなら注意して、備え付けの梯子を使うようにとの注意を受けた。
 高尾と緑間が実際そこへ足を運んでみると、確かに急斜の岩場にロープで掛けられた心許無い梯子が垂れ下がり、その先は岩の突き出しに隠れて見えなくなっていた。
「超こえぇ」
「夜に月を見にこんなところを降りていく奴の気が知れないのだよ」

 部屋へ戻ると、遅れて到着した宮地が緑茶を淹れているところだった。
「お、遅れてすまん」
 慌てて二人分の湯を急須へと注ぎ始める。
「お疲れ様です宮地さん」
「さまっす」
 思いの外早い到着に、緑間の手の平には暑さのせいではない油っぽい汗が染みる。
「茶、飲むだろ?」
「あ、いただきます」
「あざます」

 東京からそれ程離れている場所でもないし、互いに幾度も訪れた事がある観光地ゆえ、誰も観光をしよう等と言う者は現れず、何となくぼんやり、いつもは見ないようなバラエティを見るともなしに見て時間を潰すと、頃合いを見計らった緑間は、高尾を連れてさっさと温泉へと向かった。
 俄に硫黄の香りがする湯に浸り、高尾を探す。眼鏡を外した緑間は、公衆浴場で一度目標物を見失うと動けなくなるからだ。幸い、未だ風呂に入っているのは高尾と二人のみで、「高尾」声をかければ少し離れたところから声が上がった。
「そっか、真ちゃん見えないんだった」
 そう言いながら近づけば緑間は、動く影を凝視するように高尾のシルエットを視認した。
「ぶはー、それにしたって気持ちいな。もう何もかもどーでも良くなるよなー」
「どうでも良くないのだよ!」
 語気を強める緑間の顔は真剣そのもので、高尾は僅かに圧倒される。
「今日は何のために俺が時間を割いて旅行などという時間の無駄とも言える行事に参加しているのか、分かっているのか」
 高尾は眉尻を下げ「はいはいすんません」と謝罪とは取れない謝罪をして見せる。
「それだってよー、このままぎこちなく部屋で過ごして明日帰るんじゃ、家にいても同じだぜ?」
「馬鹿か高尾」
 視線がかち合わないことが却ってその言葉を強める気がして高尾は「ひど......」と零した。
「俺はこれ以上何かをするつもりはない。部屋に居るつもりだ。お前は風呂から上がって飯を食ったら、ふらり散歩にでも出かけるといい。きっと宮地さんもふらりと出かけるだろう」
 わざとらしく最後の一文を大仰な口ぶりで吐いた緑間に高尾は「真ちゃん......」と声を漏らす。
「後は分かるよな?」
「やだぁ、真ちゃんマジありがと。首筋以外でどこにチューしよう」
「やめるのだよ」

 夕飯が済むと、宮地は浴衣へ着替え温泉へと向かっていった。
 緑間が高尾にちらと視線をやれば、携帯やら何やらを袂へと突っ込んでいるところだった。
「参考までに聞くが、どこへ行く」
「んぁ、そーだな、あの岩場降りてみるかな。その後はふらふら」
「そうか。くれぐれも、意地を張るなよ高尾」
 ひらりと手を挙げ部屋を後にした。

「ありゃ? 高尾はどこ行った?」
 上気した顔で部屋に戻った宮地はまっさきに高尾の不在を口にする。
「散歩に行くとか言ってました」
「そっかー、俺もふらふらして来るかなぁ」
 口角をそっと持ち挙げると「いいですね」と彼を見上げた。
「何だ、緑間も行くか?」
「いや、俺は湯中りしたみたいで。部屋でおとなしく茶でも飲んでます」
 そっかそっか、と誰にともなく言葉を落とし、高尾と同じように袂へ携帯を投げ入れた。


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