ルームシェアフレンズ
12.

 車で出掛けよう、そう約束した日の夜、高尾からは声すら掛からない。それだけではない、挨拶以外の会話と呼ばれる物を一切しなくなった。然れどもそれをわざわざ咎める気にもなれずに宮地は、約束の日を終えようとしている。
 パタパタ、とスリッパの音がドアの前に立ち止まる。下縁の隙間には、二本脚の黒い影が覗いている。続いてノックされる木製のドア音に刹那心臓は跳ね上がり、思わず膝を抱える。
「誰だ」
「すいません」
「あ」
 入れ、と促せば幼子のように笑顔を貼り付けた桜井が後ろ手にドアを閉め、羽石を飛ぶように宮地の元へと近づく。相変わらず人を招くような空間を持たない宮地はベッドの端に寄り、桜井を招く。
「どーした」
「宮地さん、今日は高尾君とデートじゃなかったんですか?」
 彼の目線は卓上カレンダーに向かっている。覚えていたらしい。「あぁ」と零し、何と言葉を形成するべきか逡巡する。
「本当は、な。でもアイツは来なかった。って事はあれだ、行きたくなくなったんだろ」
 キョトンとした顔で「ふーん」と漏らした桜井は、百面相みたいにコロっと顔色を変え「見てみてみて下さい!」と小さなケースから黒い物体を取り出した。
「さっきアマゾンから届いたんです。一番新しいモデルのアナルバイブなんですよ! ほら、ここの突起が」
「ごめん桜井、今そういう気分じゃ、ないんだ」
 音がしそうな位に大袈裟に瞬きをした桜井は「宮地さん?」と小首を傾げる。両手を突いて、顔を覗き込む。
「高尾君に振られちゃったからですか?」
「いや、そういう訳じゃねぇけど」
 ぐい、と伸ばされた顔から、紅色が飛び込んでくる。それを宮地は僅かに口を開いて受け入れ、クチュと音が鳴る。
「高尾君と宮地さんって、付き合ってるんですか?」
「いや、ないない。付き合ってない」
「じゃぁ別にいいじゃないですか」
 更に押し付けられる唇に、少し体勢を崩しながらも片腕で身体を支えた。付き合っていないのなら、何の柵にもとらわれる必要はない。きっと桜井はそう思っているし、宮地自身もずっとそう思っていた。愛だの恋だのを鑑みず、身体だけの関係ならば、誰が誰と身体を重ねようが、文句はない。例え桜井と緑間がそういった関係にあろうとも、宮地は口を挟む事はないだろう。
 しかし、高尾の場合はそうではないようだ。宮地と桜井がそういう関係だと知った時、彼は失望するかもしれない。怒り狂うかもしれない。嫉妬はするだろう。
「恋人になれませんか?」
 その場で軽くあしらった言葉の重さに、少しずつ宮地は気付き始めている。高尾の気持ちは、そういう事なのだ。宮地だけを必要とし、宮地だけに身体を許す。
 それは往々にして、同じ事を相手にも求めるのだ。
ー高尾以外の人間とセックスするな、ってか?
「宮地さん、何ぼんやりしてるんですか?」
「あ、すまん。てかもう部屋戻れよ。今日はしねぇぞ」
 コツ、コツ、扉に押し付けるような音に視線を飛ばす。蝶番を鳴らして開いたドアの向こう、高尾が立っていた。
「宮地さん......」
 ヒラリと右手を挙げてみせるも彼の顔に笑みはなく、ベッドの手間に視線を送ると刹那、彼の顔は凍りつく。凍てついた部屋の空気に、それまでヘラリとしていた桜井までもが顔を強ばらせた。
「お取り込み中、ですか」
「いや、取り込んでない。何も取り込んでない」
「バイブ転がしといてお取り込み中じゃない? 嘘が下手くそっすね。宮地さん」
 彼の指先が、小さく震えているのを視認する。怒りで人は震えるんだと実感する瞬間。宮地は取り繕う言葉を探すがどこにも転がっていない。
「これはボクが自慢するために持ってきただけで、すいません! 別にこれを宮地さんのアナルに突っ込んだり動かしたりしてたわけじゃないんです、すみません!」
 突然口を開いた桜井の言葉に瞠目しながらも、宮地は高尾に視線をやり小さく頷く。
「楽しそうな遊びですね。今度俺も仲間に入れて下さい」
 キキィ、蝶番が鳴り、扉が閉じる。
「嘘ですよ」
 ドアの向こうから、声が張られた。宮地は額に手をやり、俯くと、桜井の膝目掛けてバイブを投げつけた。
「部屋、戻れよ」
「宮地さん、高尾君に惚れてるんですか?」
 額を支えたまま首を左右する。
「わっかんね。そんな筈はないってずっと思ってたけど、自信なくなってきたわ、俺」
 桜井は持っていたケースにバイブを収納し、カタカタと鳴らしながら再び小首を傾げた。
「俺の事、好きですか?」
 沈黙の中をカタカタ音が突き進んでいく。口を開こうとするのに言葉が見当たらない。ゴミ箱から糸くずを探すように、必死で言葉を紡ぐ。
「好き、かって言われたら、好きだけど、あくまでもセックスフレンド。友達の延長線だ」
「じゃぁ、ボクが誰かとセフレになったら、宮地さんはどう思います?」
「別にいいんじゃねぇか? ってかお前ならやり兼ねないっつーか」
「じゃぁ、ボクが高尾君とセックスしたら? どうです?」
 瞬時に口を噤む。脳裏を掠めていくのは、彼の口から紡ぎだされる「好きだ」「恋人になって」そんな言葉の数々。セックスを快楽のための手段にしていない高尾の、素直な言葉。特定の相手にだけ求める愛の証。
「ほら、迷ってる。そういう事じゃないですか?」
「へ?」
 箱を手に桜井はベッドを降りると扉に向かった。
「高尾君が誰と友達になったって困らないでしょ? フレンド、ってそもそもそういう使い方をするんじゃないかな」
 桜井は静かに静かに扉を閉じると、部屋を後にした。


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