ルームシェアフレンズ
11.

「桜井、醤油」
「あ、すいません! ボクのとこに置きっ放しですいm」
「早く寄越せ」
桜井の手から醤油を分捕ると、黄身の中央目掛けて醤油尺を傾けた。褐色が広がる様を、ぼんやり見つめる。
つと、視線を感じた方に目を遣れば、高尾のそれとぶつかった。されど、それは驚く程刹那の出来事で、彼のまつ毛が瞳を覆い隠すのには一秒も掛からなかった。
ー何だよあからさまに避けてやがる。
「緑間、お前今日の予定は?」
「俺、ですか?! いや、家にいますが」
「後で部屋行くから」
 そう言って緑間から反らせた視線の先、桜井は口元をきゅっと引き上げ、高尾はすっと緑間に視線を移していた。

 空虚とも呼べる程に整頓された空間、暫く二人は無言で座っている。沈黙を時折破るのは、近づいている超大型台風による暴風で、窓ガラスに圧が掛かる音。暴力的なまでの音とは対照的に、沈黙は室内の風を微動だにもさせない。
「すっげぇな、風」
 ぽつり、誰にともなく呟けば緑間は「はい」とこれもまた呟くように零す。
「直撃か」
「らしいです」
 立ち上がり、背の高い本棚に寄ると、宮地自身が日頃よく目にしている参考書類が並んでいた。一つを手に、それを開く。
「おぉ、すっげぇ書き込み。これなら高尾の事、お前に任せても大丈夫だな」
「やはり、その話ですか」
「やはり、とは何なのだよ、緑間」
 口真似をし、不器用に笑ってみせる。柔軟な樹脂で固めたような、居心地の悪い空間を打破しようとするが、緑間はにこりともしない。諦めた宮地はベッドに腰掛けると、仰向けに身体を委ねた。
「で? 高尾はお前に何て言った」
 階下から持ってきたのだろう月バスを見るともなしに見ながら、緑色の髪に細く白い指を遣る。
「勉強を教えて欲しい。それだけです」
「ふーん、他には?」
「別に」
 面白く無いといった態で頬を膨らませる。「そんだけかよ」
「他にご所望の言葉があったんですか」
「ねぇよ」
 閉じた月バスを無意味に水平直角を保つように置きながら、心にわだかまる言葉を空気に乗せた。
「宮地さん、大人げないのだよ。気づいているならリアクションをするなり、応えるなりするべきです。その気がないのならそう伝えるべきです。高尾は今、宙ぶらりんの状態で足掻いているように見えるんです」
「......お前、結構色々見てるんだな」
「人を鈍感みたいに言わないでください」
 んぁー、言葉にならない小さな叫びを上げつつ大仰な伸びをして、上半身を起こすと、緑間に向き合った。
「でもな、高尾の気持ちっつったって、アイツも綿菓子みたいにフワフワしてて、良く分かんねぇよ」
 月バスから手を離し、顎に手を遣る。何か言葉を言いたげな宮地の口が開くのを暫し、待った。
「それを俺は掴んだらいいのか、そのまま綿がしぼんで砂糖の塊になるのを待ったらいいのか、分かんねぇ。だってその綿菓子が本当に俺を向いてるかどうかだって、定かじゃねぇんだぜ?」
 ふっ、と空気が抜けたような音で鼻を鳴らすと緑間は、「俺はそこまで関与しないのだよ」と吐いた。
「ただ、今、高尾は自分の気持に整理をつけようとしている。宮地さんは高尾の気持ちに気づかないでもない。高尾が何か確固たるアプローチをしてきたら、必ずリアクションをしてやって欲しいんです」
「......だよな」
 勢いを付けて立ち上がり、一つ、溜息を吐いた。それは後ろ向きな感情の行き末ではなく、どこか晴々しいものだった。がたん、一つ家を揺らすような大げさな音が、窓硝子を揺らす。
「嵐が、去ればいいな」
「ですね」
 どんなに超大型台風だって、そこにとどまり続けることはない。嵐は待てば去っていくものだ。然し待ち方が問題であって、自分自身は何もせずにぼんやりと窓の外を眺めているタイプである事に宮地は気づいている。あえて何か行動を起こすとしたら高尾だろう。
 他人任せかもしれない。責任感の欠如も甚だしいかもしれない。それでも自分の気持にいまいち整理がついていない今、高尾の浮遊する感情をこの手に捕まえることは出来ないし、その感情が自分に向いていなかったと知った時の絶望たるや。
 結局、自分が傷つきたくないだけなのかもしれない。
「サンキュな、緑間」
「俺は別に何も」
 ヒラリ右手を挙げ、濃緑色のペンキで彩られた木製のドアを押した。


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