俺のパイン飴どこいった?
「森山先輩、遅いですね」
「ナンパでもしてんじゃねぇの」
 都内屈指の広大な敷地を誇るこの公園に、春風が舞い始めて1ヶ月が過ぎようとしている。桜の花は枯れ果て、出しゃばる青葉には毛虫の洗礼が待っている、そんな季節だ。
 カラオケに行こうと言い出したのは森山だったのだが、言いだしっぺから遅刻のメールが入ったのが10分前。理由も無く「あと30分」と打たれたメールに、深くため息を吐いたのは俺も伊月も同様だった。
 徐に鞄から取り出したパイン飴を、伊月の目の前に突き付けると、「あぁ、どうもありがとうございます」と礼儀正しく受け取る。袋を破き、ポイと投げた飴に食いついた。カコン、前歯に当たる乾いた音と共にはじき出されたパイン飴は、二人の胡坐の先に、欠けた消しゴムみたいに転がった。
「下手糞」
「すいません、無駄にしちゃいました」
 眉尻を下げ、頬を掻くと伊月は、転がったパイン飴に顔を近寄せる。
「宮地さん、もう蟻が這ってます」
「はやっ!」
 刺々しくもある芝に手のひらを突けば、刻一刻と成長する茂みに煽られている様でこそばゆい。ずうと顔を寄せれば、伊月の髪と俺の髪がかすかに触れた気がした。それは気のせいなんかじゃなく、それを証拠に伊月は、驚くほどの速さで俺の横から逃げ出した。
 嫌われている、のか?
 二つしかなかったパイン飴の一つは蟻に占拠され、もう一つは己の口の中。
「ごめん伊月、これっきゃない」
「いいえ、いいんです。今度買って返します」
「別にいいよパイン飴なんて」
 妙に礼儀正しい所も、ずっと気になっていた。
 嫌われている、のか?

「なぁ、伊月は高校に好きな奴とかいるのか?」
 広大な敷地の小高い丘の上、風の音と蒼の香りだけが二人の会話を耳にする。
「いませんよ。忙しいですからね、俺らも」
「好きになる隙がない、ってやつか?」
 言いながら超恥ずかしくて両手で顔を覆っている俺を尻目に伊月は、鞄から大学ノートを取り出し「ちょっとそれメモします」とニコリともせずに書きこんでいる。俺が赤面に震えている事になど全く無反応で、書き終えるとひとたび、ニコリと笑む。
「伊月って好きな子がいても絶対手ぇ出さなそうだよな、某ナンパ師と違って」
 俄かに頬を赤らめてむくっとした伊月は「手ぇ、手ぇ」と口籠る。
「手ぇぐらい出しますよ! 俺だって男ですからね」
 自分でも酷いと思うぐらいのしたり顔で俺は、胡坐をかいた彼の膝を、つんと一つ、突いた。
「でも、身体だけじゃ嫌だとか、言いそうだよな。その辺、変に堅そう」
 更にぷうと頬を膨らます伊月は思いの外不満げな表情を見せている。
「堅くなんかないですよ! 俺だってやる時はやるんですって」
 何をそんなにいきり立っているのか俺にはさっぱり分からず、それでも頬を上気させてぷうと膨れる伊月はなかなかどうして可愛い物で、俺は更に畳みかける。
「お嬢様みたいな可愛い女の前じゃ萎縮しちゃってあっちも委縮か?」
 それまで胡坐を掻いていた筈の伊月はいつの間に膝を立て、上体を起こしていた。
 と、刹那、俺は芝のひしめく地面に後頭部を強かにぶつけ、視界に広がる筈の青空を遮る人の影が逆光で黒く染まっていた。耳の両側、手の平で芝を踏む音が行き来する。
「な、んだ、伊月」
「俺だって、俺だって、やる時はやるんですよ! 好きな人を前にしたら、こうしたくなるのが男ってもんでしょ!」
 春風に揺れる芝生が音を立てる。遠くから、海を航行する警笛の音がこだまする。そんなものをつぶさに捉えられるほど、静寂に支配された空間で、伊月は白い陶器の様な肌を、真っ赤に染めている。
「俺、男だけど」
「だから何ですか、やる時はやるって、俺言ったでしょ!」
 頬に熱を持つ自分の身体の機構が不愉快だ。そうは言っても不随意に起こる現象に為す術は無く、伊月から顔を背ける事が精いっぱいだった。
「宮地さん、顔真っ赤ですけど......」
「まさか気のせいだろ」
 わざとらしくあしらえば「気のせいですよね」と気落ちする伊月に、俺は何と声を掛けたらいい。
 こいつ、ホモなのか?
 未だ頬を染めたまま、俺の視線とかち合わないよう目線を泳がせる伊月に、「おい」と声を掛ければ、びくと引き攣った顔は瞬時に青ざめ、忙しい顔だなと思い至る。
「俺の事押し倒して、何すんの」
 ゆっくりと上へ移動した彼の視線と同じ速度で、頬もゆっくりと赤転し、からくり人形でも見ているようだ。
「何すんのって、襲うんです」
「今から?」
「今から」
「ここで?」
「ここで」
 依然彼の両手は俺の耳の脇にあり、両膝で捕らえられた下半身は、抵抗をしても叶いそうもない。
「襲うって言ったって、ゴムとかねぇだろ」
 体中の血液が顔面めがけて超速で移動すると、こんな顔になるんだな、伊月を見ながらぼんやりとそう思う。
「ゴムならあります! 宮地さんに、ゴム持参。キタコレ」
「きてねぇよ。じぇんじぇんきてねぇよ」
 俄かに項垂れる伊月の、艶っぽい黒髪に指先で触れてみる。まだ少し冷たい春の風に幾度も揺られる髪束は、ほんのり冷えていて、少しでも添える指の力を抜いてしまうと、風が髪を運んで行ってしまう。
「伊月?」
「はい」
 真正面で俺を見据える伊月の頬に手を添える。髪とは対照的な熱感に、天地が回るような妙な気分を覚える。
 挟んだ頬を徐々に手前へ引き寄せて、俺は伊月の唇に熱を添えた。
「ん!」
 身をよじって逃げようとするコイツを身体ごとホールドすると、少し強引に唇を開く。カラン、音がすれば、それで終わりだ。

「俺のパイン飴、あげる」