催眠ドライブ
YOU DRIVE ME CRAZY!!!
(あなたがボクを狂わせる)

「不眠が随分長いよね。そうだね、じゃぁちょっとだけ睡眠薬、と言っても、睡眠導入剤っていう効き目が短いタイプのお薬をね、出しときますね」
 電子カルテにかな入力する医師は、「それから」と続ける。キーを打つ右手は随分と大仰な音を立てるものだと、目はそこから離れない。
「効き目が早すぎちゃう事があるから、飲んだ後はすぐ寝る体制に入る事。途中で目が醒めるとちょっと記憶が曖昧になったりする事もあるから、酷いようなら私に言って下さい」
 ひときわ大きな音は、エンターキー。「それから」
「お酒と合わせると副作用が出たり、酩酊状態になったりするからね。その辺はまぁ、君は未成年だから大丈夫かな」
 やっと音を止めたキーボードから目を離せば、医師の視線にぶつかる。
「分かりました」
 大凡を頭に叩き込み、礼を言って診察室を後にした。

     *

「い、今なんて言ったんですかすいません! 聞き逃しましたすいません!」
 ソファに沈む宮地さんの胸倉をぐいと掴むと、あと数センチで額がぶつからんという距離まで詰める。それ以上後に下がることが出来ない宮地さんは、器用に下方へずずと滑り降りた。
「だからぁ、付き合ってもいいって」
「すいません、も一回!」
「つきあっても」
「も一回!」
「桜井しつこい」
 自分の顔が今どんな表情を見せているかなんて、実際に客観視でも鏡越しにでも見なければ分からないけれど、それでも口角は思いがけない角度へと急上昇し、きっと瞳は今にも重力に従って落下しそうに見開かれているのだと思う。
「ボ、ボクなんてあれですよ、コバエとか公園にいる頭にたかってくるあの小さい虫とかあんなやつですよ、いいんですか? ボクと付き合うなんて虫と一緒にいるようなものds」
「お前、付き合いたくねぇの? どっちなの?」
 酷く冷静な宮地さんの一言で、ボクは口を噤む。このチャンスを、逃すまい。跳ねる心臓は行き場を探し、余計な言葉を発する事を恐れるとそれは喉元まで迫り上がる。
「付き合いたい、です。すいません」
「よろしい」
 距離を詰めたままのボクは、無意識のままで彼の唇を啄んでいた。きっとそれはとても自然で、性欲とか、そういう邪念は排除されたピュアなボクが引き起こしたアクシデント。それでも宮地さんは馬鹿みたいに冷静に、離れようとするボクの顔を少し低い温度の手の平で包み込むと、深度の深いキスをする。宮地さんに跨る形になったボクは間合いを詰め、ソファの背と彼の背の間に手を差し入れる。欲しい物を手に入れた子供がプレゼントを抱きしめて飛び跳ねるように、彼を抱き締めたボクの心は天まで届かん勢いだった。
「宮地さん、セックス、してもいいですか?」
「だめ」
「何でですか?」
「だって、あそこは出す専用だろ? あんなとこにあんなもん突っ込むなんて俺は許せん」
 それ以外ならいいぞ、そう告げるとすぐ、再びボクの唇に吸い付いた。

 暫くはそれで大丈夫だった。互いの口で欲求を満たし、愛を感じていれば、満足だった。しかし人間は欲深く、更に快感が得られ愛を感じる行動を知っているからこそ、それを求めてしまうのだ。
 宮地さんと顔を合わせる度、セックスがしたくて仕方がなくなった。無理やり羽交い締めにして捩じ込む事だって出来なくはないが、ボクより随分と上背がある宮地さんを組み敷く事は難しいと判断し、オーラルセックスで我慢する日々が続いた。
 それでも欲深いボクは、オーラルセックスでは勃起しなくなってしまった。快感は痛い程に感じて身を捩るぐらいなのだ。それでも血液は「そこ」には集まらず、「セックスがしたい」そればかりを考え続ける脳にだけ集まってしまうらしい。ボクの海綿体は無意味なスポンジと化した。
「宮地さん、すいません。役立たずのクズですいません」
「別にいいよ俺は。それより何か、心配事でもあんのか?」
 器用に片手で下着を着けながら、片手でボクの肩を抱き、コツン、頭と頭を合わせる。そこから暖かな何かが流入するようで、あぁ、幸せだ、そう脳は結論付ける。
 まさか、「セックスがしたくてしたくて、オーラルでは勃起しなくなった」なんて言えない。
「大丈夫です。すいません、ボクみたいな虫けらを心配してくれるなんて宮地さんだけです」
 確信があった訳ではない。しかし自信はあった。
 宮地さんとセックスをすれば、ボクのムスコは機能する。

 簡易的インポテンツになったボクは、セックスが出来ない悩みと勃起しなくなった悩みのダブルパンチで、夜眠る事ができなくなった。心療内科では「学業の悩み」という言い訳をして、青色をした睡眠導入剤を処方されるに至った。

     *

「コーヒー、飲みます?」
 シャワーを浴び終えた宮地さんはややサイズ足りずのボクのスウェットを着て、ソファベッドに寝そべると月バスを捲っていた。20度に設定したファンヒーターが、この日最大の力を持ってして熱気を排出しているのは、徐々に部屋が冷えてきているからだろう。
「おぉ、貰おっかな」
 湯を注いたインスタントコーヒーを、スクエアテーブルに置くと、水面がふらり揺れ、マグカップの頂点から少しこぼれ出る。芳しいコーヒーの香りは、いつも淹れる安いインスタントコーヒーと何ら変わりがない。
「宮地さんは甘いモノが好きなのに、何でコーヒーはブラックなんですか?」
 マグカップから口を離し「それな」と口を開く。彼の吐く息が、立ち上る湯気を僅かに動かした。
「苦い物飲んだほうが、甘い物の甘さがガツンと来るんだよ。ケーキとか超甘くなる」
「へぇ、何でもかんでも甘いモノがいい、って訳じゃないんですね」
 無言で頷きつつ再び口をつけると、然程時間を掛けずに彼のマグカップは空になった。

 ファンヒーターをオフにすると、途端空気が張り詰める。2月の夜空は澄み渡り、窓から見える新月の空は零れんばかりの星々を湛えている。その澄んだ濃紺が、外気温の低さを容易に連想させた。
「寒いですね」
「もっと、くっついていいぞ」
 横臥した宮地さんの太腿に脚を引っ掛けるように絡め、上半身をぐっと近づければ、体幹から彼の体温を吸い取るように、暖かい。このままバターみたに二人が溶けてしまったらいい、場違いな思考は突然で。
「眠い。桜井、何かすげぇ眠い」
「くっついてていいですか?」
「おう。いいよ。おやすみ」
 暗闇の中、どのタイミングで彼が目を閉じたのかは分からない。それでも無音の時がそう長く続かないままで、彼が静かに寝息を立て始めた事に、暗闇に向けて無意味に瞠目した。

「宮地さん? 分かります?」
 彼が深い眠りに入って1時間程が経過した。完全に目を覚ますような事になれば「怖い夢を見た」とでも言って誤魔化そうと思っていたし、実際そうなるだろうと半ば諦めていたのだが、目を瞬かせながら「さくぁい......」とボクの名を零した宮地さんは、ボクが理想としていた半覚醒状態を保っていた。
「んっ......はぁンっ......ちゅうすんの、きもちいの、さくぁいぃ」
 完全に覚醒するまでに、どこまでできるのか。ボクの手は気持ちよりずっと急いていて、キスの合間に彼の下生えに指を滑らせる。温かく、硬い、確かな感触を手に感じれば、そこを少しずつ刺激する。
「はぁッ......何かへんらよぉ......ああっ! きもち......」
 そこを口に含めば、漏れ出す嬌声は女のようで、いつにも増して妖艶で、本能的で、吸い付く力を更に強くする。
「んぁぁっ、もうやらぁさくぁいぃ......」
 とんでもない痴女でも相手にしているようにも思える、宮地さんの痴態を盗み見る事には罪悪感を覚えども、僅かに熱くなってきつつある下半身のためにはと、彼が果てるまでは口を上下させ続けた。

「おはよ」
 二三度瞬きをする視界の向こう、向日葵色が朝日を受けて光を返している。
「宮地さん、んぁ、おはようございます」
 ぼんやり半身を起こせば、いつもより少し長く深く眠れたような心持ちに、昨晩を思い返す。
「宮地さん、今日も泊まって行けますか?」
「おう、バイト終わったらまた来るわ」
 カーキ色のミリタリーコートをひらり返すと袖を通し、思い出したかのようにこちらへ戻ってきた。
「じゃまた今夜な」
 小鳥が啄ばむみたいに小粒の口づけを落とすと、玄関を出て行った。一瞬の扉の開閉で、寒風が流入する。冷たい空気のお陰で僅かながらクリアになった思考で、先程の宮地さんの雰囲気を統合すれば、「異常なし」。
 これなら今夜こそは最後まで......。

 昨晩と同様に、無理に揺り起こした宮地さんは、子供のように呂律の回らない単語を並べている。昨日したように口で刺激すれば、身を捩る宮地さんは完全に濁音を失った喘ぎ声を漏らし続ける。
「......っ!! そこらめらよぉ」
 一方を口で吸いつつ、後ろ側に指を当てがう。周囲に縁を描くように解して行けば、すぐに一指を飲み込んだ。熱くてキツイその中に、自分のものを挿入する事を想像すれば、昨晩とは比にならない下半身の張りに驚く。
「あ、宮地さん、ボクもちんちん勃ちましたよ、良かった」
 そんなボクの喜びなんて構いなしに、初めて味わうのであろう後ろ側の刺激で身体を震わせている。枕元に置いたローションを少し指に取ると、更に強い刺激を与えてみる。一層激しい声で哭く彼は、娼婦のように淫らに瞳を濡らしている。
 甘く響く水音が部屋に充満し、その音にすら反応する自らの下半身は暴発寸前まで来ていた。
 腰を持ち上げ、その部分に押し当てる。跳ね返されるボクの器官を、負けじと中へ突き進める。しかし一定の場所から先、進まなくなった。相変わらずの嬌声をあげる宮地さんの事は頭の片隅に置いておくと、これをいかに中へと侵入させるかを考えた。少し、強めに圧をかける。風船を膨らませる刹那に、大袈裟なほど空気を押し込まなければ膨らまない瞬間がある。あれと同じ要領だった。何かが解放されたように、すっと奥まで挿入する。思っていたよりもずっとキツくて、ずっと熱い。これが宮地さんの本当の体温なのだと思うと、愛おしくて仕方が無い。そのまま少しずつ、抜き挿しを繰り返す。
「ぁはぁ! ひゃぁぁっ......ら、めっ......何か変らよぉさくぁいぃ......」
「宮地さん、愛してますよ、宮地さん」
 押し込む力を強く、擦り付けるように動かせば宮地さんは乱れ悶え、余りの喘ぎ声の大きさに思わず唇で唇を塞いだ。
「んっ......はぁんっ......んんさくぁいぃぃ」
 半覚醒状態の弊害は、この声の大きさだろうか。いくらマンションであってもこの時間にこの声はマズイと判断し、積極的に舌を絡めて声を殺す。そんな無理な体勢で挿入していても、宮地さんの後ろはボクにしっかりと纏わり付き、締め付け、確実に終わりへと向かっていた。
「も、駄目、ボクいっちゃいそうです......んぁぁっ!」
 俄かに早めた腰の動きと同期して彼の身体がガタガタと揺れる。一層声が激しくなるが気にしてはいられない状況と、その声にまた股間が刺激される感もあり、全てがどうでも良くなるとはこの状況かと思い至る。何もかも手放し、ボクの頭のなかは真っ白に飛んだ。
「ぁあっ!......クッ......」

「桜井ぃ、おっきろー」
 起き抜けに、随分長く寝てしまったという、あるはずもない記憶が脳裏をかすめ、瞬時に上体を起こせば、時刻は昼に突入していた。
「すいません! 朝飯も作らないですいません!」
「いいって。疲れてんだろ? 俺そろそろバイトだから。今日は家帰るから、また水曜辺りにくるな」
 言うとボクの股間辺りに跨り座った宮地さんは、ボクの髪を数度撫でる。そして両手でボクの耳を挟むようにするとそのまま引き寄せ、貪るようなキスをする。唾液が混ざる音。水が跳ねる音。舌が絡まる音。息遣い。外界からの音が遮断された状態にあるとそれらが俄かに鮮明になり、まるで深海を泳ぐ魚にでもなった気分だ。
「じゃあな、また来るから」
 コートをバサと羽織り、外は雨なのかボクの家に置いたままにしてあった彼の紺色の傘を手にすると、ひらり右手を挙げて扉を開ける。
「あ、桜井」
「はい?」
 こちらに視線を寄越さないままに宮地さんは、言葉を放り投げた。

「次は起きてる時にしよーな」

YOU DRIVE ME CRAZY!!!
(あなたのせいで夜も眠れない)