逢わない君、逢えない君
「あなたの事が、好きなんです」
そう零した君の瞳は、笑い飛ばすには余りに真っ直ぐで、冷えた灰色のくせにどこか熱を持っていて焦がされそうで、今それを取り損ねたら永遠に俺の手の中には戻ってこないと確信できたから、俺は言った。
「知ってる、俺もだから」
切れ長の瞳が一層細くなったと思えば君は、雨宿りの庇から傘もささずに躍り出て、ワイシャツの向こうが透けて見えるんじゃないかってぐらいにびしょ濡れになりながら、涙を流していた。
ずっと見つめていたい、彼がこぼした大粒の涙。この手で受け止めたい、きらめき輝く雫。

「お前とはもう、付き合えない」
そう零した俺の瞳を覗き込む君は、小さく俺が映り込む冷灰色の瞳を微かに揺らし、小さく開いた唇はただただ無意味に開閉するだけで何の音も発しなくて、ただただ酸素を求めて泳ぎ回る繊細な熱帯魚のようだった。
「なんで......俺は宮地さんを......」
すっと伸ばされた、節くれだった指には、揃いで買った銀の指輪が、夕刻の陽を嘘みたいに明るく照り返していた。この状況を嘲笑うかのように、そこにあり続けようとす君の指先に俺は、これっぽっちも触れる事なく「やめろ」そう言って、一歩後ろに後ずさった。
彼に触れたら、君の温もりに侵食されて、冷やした筈の俺の心は軽率に溶け始めそうで、怖かった。
嫌いになれるはずがなかった。しかし嫌いになる他なかった。嫌いになった「フリ」をするより方法はなかった。
「宮地さんがいない人生なんて」
君はそう言った。
君がいない人生なんて、桜の咲かない春。君がいない人生なんて、白い吐息のない冬。
だけど今俺は、そんな季節も有りのままに受け入れて、生きていく事を心に決めたから、君が顔を歪めながら流した大粒の涙だって、両手で顔を覆って背を震わせながら吐き出された嗚咽だって、この手では到底受け入れることのできない、別離の切符。

もう逢わない。
そう決めたあの日、憔悴し切った君の横顔。初めて見る君の悲しみを、やすやすと手放そうとしている自分に嫌気が差し、「帰る」そう呟いて、雑踏へ一歩踏み出した。
君の噂は風の便りに聞いていた。元気にしてる、と。それが俺への最大級の慰めの言葉だってことを知るまでに、幾分、時が経ち過ぎた。

「逢いに来たよ」
西日に誘われた初秋の涼風に、白い煙が幻みたいに揺蕩う。香る白檀を身体に浴びながら俺は、君にお似合いの秋桜の花束を、君の傍に置いたんだ。君はその事に、気づいたかい?
もう二度と逢わないと決めた君が、もう二度と逢えない君になるなんて、君と僕の間には神なんていないとさえ思ったよ。
君が時を止めたあの日、君は僕の写真を握りしめていたと聞いた。だから俺は、俺の時を止めるまで、君の写真をずっとこの手に握りしめているよ。

切り立った崖の高台に立つ公園墓地の眼下には、白波が渦巻く青い青い海が、永遠を告げるみたいに遠く遠くまで、広がっていた。

「逢いに来たよ」